逆襲のモーティマー

アニメとか映画の感想置き場……になるはず

12年目のヒックとドラゴン 僕にとってヒクドラとは何だったのか?

ヒックとドラゴンの最終作、聖地への冒険が公開されてもう既に2年以上が経ち、巷では感想が出尽くし、1300年後の現代を舞台にした外伝や児童向けのレスキューライダーズも展開している今になってやっと記事を書くような自分はファン失格かもだけど、それでも南町田のグランベリーモールでなんとなく観たあの映画に12年も狂っている今までとこれからを振り返ってみようと思う。(※要はただの自分語りです。)

 

僕にとってヒックとドラゴンシリーズは常に自分の知らない未知の世界へ誘ってくれる存在だった。ドラゴンに乗って空を飛びながら知らない世界を訪れることが何よりの幸せだと気付かせてくれた。

ヒックは最強のドラゴンであるナイトフューリーに乗って天を駆け、プラズマブラストで敵を打ち倒す姿も目立つが、第一作目の時からドラゴンの幸せを一番に考え、戦いを最小限にとどめる行動を行ってきた。かつて父がドラゴンを滅ぼすために探していたドラゴンの発祥の地である世界の果てへ、ドラゴンと仲間たちを守る為にバーク島を失ってまで向かう。勇ましく戦って悪を滅ぼし、一国一城を維持することだけが英雄ではない。時にはヴァイキングドラゴンライダーとしての自らのプライドすら捨てて逃げることも真の英雄と言えよう。そして最終的には視聴者が望んでいた姿“ヒックとトゥースは永遠に一緒にいてほしい”という願望すら裏切り、絶海の孤島と地底奥深くでそれぞれ別れて住み、未来にドラゴンと人間が共存することを望みつつ、自分達の世代では妻子と共に小さな幸せを享受するのみに留める。

そんなヒックとトゥースの姿を見ていると、次第に本物の歴史の世界を深く知りたくなってきた。最近になって自分は歴史の本を取り寄せて読むようになってきた。ここ最近では横山光輝三国志にハマっている。その中で呂布との戦いを終え、曹操劉備を招いて宴会を開いた時の英雄論

曹操「竜というものは 天に上る機が 未だ熟さぬ時は 頭をひそめ爪をかくし 深淵にひっそりと身を沈め さざ波さえ立てぬ

だが ひとたび機が 熟したとみるや 風を起こし 雲を呼び一気に天に駆け上がるという……余は人間の英雄にその姿を見る」

横山光輝 三国志 文庫版第8巻  p103~p105 英雄論より

これは後に勢力を拡大し蜀漢にて皇帝になる劉備の将来を言い当てたものだが、自分は逆に、「英雄的大業を成したものでも、時代に合わない、犠牲や戦いを望まない場合、静かにさざ波に戻ってもいい。」という意味にも、そしてヒックとトゥースの選んだ選択を肯定しているようにも感じられた。

日本の歴史にも、脅威と戦うのではなく、新天地に旅立つ道を選んだ人々も少なからずいる。例えば沖縄県波照間島では、江戸時代に薩摩藩の支配から逃れるために、先祖の伝承にあるパイパティローマという聖地へ旅立った人々がいた。彼らは結局遭難したとも、台湾に辿り着いたともいわれているが、実は本当にその桃源郷にいったのではないか?彼らが住んでいた村の跡は今も信仰の場となっている。

こういう事実や歴史を少しずつ知っていくうちに、ああもう自分は今後新たにアニメーション一本のみに狂うことは無いのだろうなと、これからは実際の歴史の中で新天地に旅立っていった人々の生き様を知っていく事に人生を費やしていくのだろうなと何となく感じた。視聴者を新たな世界へ旅立たせてくれる作品、それがヒックとドラゴンの本質なのだろう。

ありがとう、そしてこれからもよろしく、ヒック&トゥース!しゃべる魚の骨とへっぽこ爬虫類の雄姿を胸にこれからも頑張って生きていくよ!